ふむ。
先日はさらりと流してみましたが、
やはりじわじわとライフオブパイに
頭がやられているので、ちょっと吐き出させてください。
あ、完全ネタバレとゆか
僕の考察に入るので、やめてー(>_<)
って方は画面を閉じてください。
まず、この物語について。
終盤でのパイの言葉が物語るように、
「トラと過ごした漂流記=神様の話=
パイの信仰心が産んだ寓話」、
「動物の出てこない話=事実」というのが
ぼくの見解。
長いのでトラの方をA、
もう片方をBとおくが、
Aは「事実」ではないがBを内包しているし、
パイにとっては「真実」だともいえる。
だからパイはどちらが真実か限定できない。
A:骨折して弱ったシマウマの足をハイエナが食べ、
それを見てオラウータンの母が騒ぎ、やはりハイエナに
殺される。が、その直後隠れていたトラにハイエナが
殺され、ボートにはトラとパイだけになりそのまま漂流。
B:骨折した仏教徒の足をコックの指示で切るが死亡し、
コックはその足を食べる。パイの母はそれを非難し、パイと
2人で逃げようとするもコックに刺されて死亡。それを見たパイが
コックを殺し、その死体を食べながら1人で漂流。
同じ話をカメラを変えて語っているにすぎないが、
異なるのはAにはパイの信仰の影響から
ヒンドゥー教のメタファーが多分に含まれることだ。
事実を掘り下げたところで、
極限状態下の倫理やカニバリズムについての
話になるだけなので、今回はAの示唆するB、
Aで示されるメタファーについて考察したい。
*リチャード・パーカー(トラ)
ポー(奇しくもこの前みたばかり!)の小説の登場人物、
またそれとのシンクロニシティで有名な水兵の名前だが、
ここからもこれがパイが創り出した寓話になっていることが明らか。
(食べられる側だったパーカーを食べる側においている)
冒頭の父の言葉
「トラの目に映る自分の心を見つめているに過ぎない」は
重要なキーワード、というよりもこの物語の真髄だ。
パイの本能的な部分=トラとして描かれる。
トラとパイの関係は本能と理性の勢力図として、
ボートを占める割合で示される。陰と陽のあのマークみたいに
ボートの布がかかってる面、出ている面があり、そこにパイとトラ。
トラは自己防衛本能により魚も肉も食い、
敵(=ハイエナ=コック)も殺す。それを許せない理性=パイは
なんとかトラを制御しようと戦う。
途中までは優位だったトラだが
パイがその存在を「生きるのに必要」と
認めてから(ボートから海に出たトラを救ったあたり)
共存関係になっている。
嵐の中にパイは神を見出し、
必要以上にそれをトラにも見させようとするが
トラは怯えるばかりである。
「神」に対し極限状態であるがために
今の自分の罪(本能としての自己防衛に努めること)を
肯定してほしい、という願いだったのではないか。
しかし神はそれに対し沈黙。
その後トラとパイは劇的に憔悴しているのは
この「神降臨」を境にパイ(=理性)が優位となり、
理性下では認めることのできない、
食肉をしなかったためではないか。
しかしそこに「浮島」が現れ、
トラとパイの空腹を癒してくれる。
*浮島の特徴
ミーアキャットだらけ
昼は真水の湖だが夜には酸性になる
蓮華に似た花の中に人の歯
夜になると帯光性がある
島全体の形が人が横たわった時のもの
*滞光性
神にまつわるものについては
「光る」という共通項の描写になっている。
それは最初にパイのとった魚(なんかこわいやつ)に
対し、ヴィシュヌ神の名前をあげていることでも推測できる。
「感謝します、ヴィシュヌ神
ぼくたちのために魚の姿に変身してくれて」
それに合わせて「蓮」の描写
(「森に隠れる蓮(神)」という恋人との会話、
その伏線回収でミサンガを結んだこと)や、
映画冒頭にヴィシュヌ神の横たわった絵が
登場していたことから(おそらく島全景の伏線)、
この「島」も魚同様にヴィシュヌ神の
アヴァターラであったのは確実だろう。
ではミーアキャットは?
潮の満ち欠けにポイントを
当てているのに意味があるのか?
真水が化学変化で酸性に?
これはぼくの全くの想像であるが、
島を取り囲むミーアキャットは
なんだか、とても気持ち悪い。
島は人の形をしていて、
そこを這いずり回る小さくうじゃうじゃしたもの。
まるで死体にたかる蛆のようだ。
喉を潤す真水は血液、
腹を満たしてくれるのは腐りかけの肉、
酸性と潮の干潮が示すのは女性(=子宮)。
帯光性パイにとって神聖な存在、の死体。
コックに殺された母は海に
落とされたわけではなかったのかもしれない。
仏教徒の足すら食べるコックが
わざわざ食料を無駄にするだろうか。
コックを殺した後、
船にはコック、仏教徒の上半身、母と
遺体が三つあったのではないか。
そして母だけはパイは食べることなく
極限状態までいたのではないか。
死体に蛆がわくのにそこまで時間は
かからないだろう。その蛆をかき分けて
血液を飲みほし腹を満たした。
ヴィシュヌ神が自分を助けるために
母に変身して恵みを与えてくれたことに感謝をして。
トラとの別れは
文明社会に戻るにあたり
剥き出しの本能がパイの中に
隠れただけであり、「別れ」は言えない。
パイは自分の罪を見つめ、
受け入れなければいけない。
あまりにも辛い事実を受け入れるには
「トラ」というもう一人の自分が必要だ。
罪を背負いきれないから。
しかしトラは去ってしまう。
あまりに重く厳しい現実をパイに突き付けて。
映画内で何度も必要以上に目にする、
パイ達を運んでいた船の名前(ツィムツーム)は
ユダヤ教の秘宝カバラーの思想の一つで
「縮小」「収縮」という意味があるらしい。
人と動物が乗り込んだ、「縮小」という名前の貨物船。
ここから連想するのは「ノアの方舟」だろう。
貨物船は世界の縮図になっており、
パイの乗ったボートでは生命の相関図が描かれる。
副題の「227」(22÷7=円周率)、
主人公の名前にもなっているπは
この映画に流れる哲学的宗教的信仰と合わせて
一つの主題を訴えかけてくる。
「無限に続く無理数のように
生命の営みはどこまでも続いていく。」
宗教色強い作品ですので
おそらく、それに大事なのは宗教だよね、って
まとめになるかと思うのですが。
映像美と数学美に非常に優れた作品でもあるので
小難しいことを長々と書きましたが、
そんなことは忘れて頭空っぽで
一度見られることをお勧めします!
上記のようなえげつない話ですが
それをパイが克服するために
映像は大変綺麗にまとめられてますのでね。
グロ部分は映らないようになっているし。
海と星空をつなぐクジラのシーンは
素晴らしいです!ぜひご視聴を!